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天文・鉱物・その他。調べたことや自分用のメモなどを書きます。

【読書感想文】 複雑系―科学革命の震源地・サンタフェ研究所の天才たち

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現在のサンタフェ研究所をGoogleMapsから。

基本情報

  サンタフェ研究所*1の草創期に関わった研究者たちをめぐる科学ドキュメンタリー。副題に「サンタフェ研究所の天才たち」とあるように、個々の研究者に焦点を当てながら群像劇のようにして複雑系科学の成立を描くもの。

  原書の出版は1992年のこと。本書で描かれる時期はおおよそ80年代だが、登場人物の過去に遡る場合には話が戦前に及ぶこともある。

  なお原題は『COMPLEXITY The Emerging Science at the Edge of Order and Chaos』 となっている。6章で言及される「カオスの縁」という単語にリンクしており、本の構造よりも複雑系の本質的な姿を仄めかした雰囲気になっている。

  現在は絶版となっているため、図書館か古本を探すしかない。

 

複雑系―科学革命の震源地・サンタフェ研究所の天才たち (新潮文庫)

複雑系―科学革命の震源地・サンタフェ研究所の天才たち (新潮文庫)

 

 

感想

  かなり分厚いため*2怯んでしまい、買ってから読むまでに少し時間がかかった。読むのにも時間がかかるかと思ったが、買ってから読むまでに要した時間ほどではなかった。

 

   全9章からなり、前半の6章まで(4章を除く)は章ごとに一人の人物に着目し、ストーリーが並列して展開される。1章は経済学者のブライアン・アーサー。2章はロスアラモス研究所のジョージ・コーワン(彼がサンタフェ研究所の創設者となる)と仲間たち。3章は医師で生物学者のスチュアート・カウフマン。5章は計算機科学者のジョン・ホランド、6章はクリストファー・ラングトン。

  彼らはそれぞれに専門分野や興味のある事象があったが、後に複雑系と名付けられる現象にそれぞれ独立して辿り着き、研究を進めようとしていた。そしてサンタフェ研究所の設立に前後して合流し、複雑系科学の確立に貢献した。一人の天才の発案や発明から生じて枝分かれするというよりも、いくつもの水源から生じた川が合流して巨大な水系を形作るように生まれた複雑系という科学の流れを、手のひらサイズの紙の上で再現するような構成の本である。

  1章のブライアン・アーサーは数学に長けた経済学者で、旧来の均衡を是とする経済学の手法に疑問を抱いていた。学会の主流からは無視されたが、現実の世界に起きる経済的な現象と理論としての経済学の乖離を無視することができず、古典経済学にはない道筋を求めて、収穫逓増理論を提唱した。個人的なことだが『物理数学の直観的方法』*3の長いあとがきでニュートン以来の還元主義的な科学の手法の限界がどうのこうのという話を読んだ後だったので、まさに卒啄同時の感があった。

  だが、サンタフェで合流した研究者達こそ、議論をはじめて互いに同じ問題意識を共有できた瞬間、卒啄同時を感じたことだと思う。

 

  本筋とは関係ないが、本書中ではやたらと日本の話が出てくる。日本に縁のある話などは無く、単に「日本つよい」「日本はんぱない」「日本とどう戦えばいい?」そんな感じ。本書の執筆当時は日本経済の黄金時代であり、アメリカから見て存在感が大きかったのだと想像できる。既に跡形も無いし、私はつよい日本を知らないので、なんだか違う国のことを言ってるようにさえ思えた。今なら「中国つよい」になっていただろうか。

 

 

クリス・ラングトンという人物

  どの章も面白いが、個人的に一番を挙げるなら6章のクリス・ラングトンしかない。 本書中の主要人物がエリートとして各々の専門分野で立場をもっている中、彼だけはよくわからないプロフィールで、研究者でありながら博士論文もなかなか完成させることが出来ずにいた。

 

  高校を卒業した後、周囲に馴染めず成績の悪かった彼は特に名門でもなんでもない大学に入り、ベトナム戦争の徴兵拒否のため代替義務として病院で働くことになり、心理学の研究室でプログラミングに触れ、これを好んだ。研究室のリーダーが他の大学に移るため仕事を失い、次に行くことになったプエルトリコの霊長類研究所ではうまく馴染めず、所内の派閥争いの結果ふたたび彼は追い出されることになった。プエルトリコでプログラミングから離れていた彼は、宇宙論や天体物理に興味を抱いていた。その後アルバイトをしながらボストン大学で聴講生として数学や天文学を学び、講師の勧めで天文学の盛んなアリゾナ大学に行くことになった。

  ボストンではハンググライダーにハマっており、アリゾナへ旅する途上ではハンググライダー仲間と一緒にアメリカを横断しながら各地で空を飛んでいた。途中で良い山を見つけたので山のオーナーと組んでハンググライダーの全米大会を開催することになり、ラングトン自身も出場するために練習していたが事故で墜落、全身を骨折する瀕死の重傷を負った。担ぎ込まれた病院の院長がたまたま全米トップクラスの整形外科医だったので良い治療が受けられた。 療養中は「トラック1台分*4」の本を読み耽り、天文学や数学だけでなく思想史や生物学の本にも触れた。

   28歳のとき、一年遅れでアリゾナ大学に入学したら学部では天文学をきちんと学べないことがわかって見切りをつけ、思想史に興味があったので哲学科と人類学科に学んだ。文化の進化という過程に複雑系の匂いを感じた彼はそれを研究テーマにしようとしたが、プログラミングを含む領域横断的な研究であり、哲学や人類学の分野に適切な指導教官が見つからなかった。計算機科学の分野でもかれの研究テーマには理解を示さなかった。

  大学を卒業してリフォーム屋とステンドグラス屋での職を得て、人類学科の大学院に進んでいたが、院では自分のやりたい研究が出来ないため、コンピューターを買って自力で研究した。このときにフォン・ノイマンの研究に触れる。アリゾナ大学には居場所がなかったので、哲学の指導教官の勧めでミシガン大学に願書を送った。不合格の通知が送られてきたのでキレて反論の手紙を書いたら合格になった。

  ミシガン大学は彼の研究にとっていい場所だったので、紆余曲折を経て学位論文に関わる研究ができる段取りが整った。しかし、セルオートマトンに関する会議で知り合ったドイン・ファーマーと意気投合、彼の誘われてポスドクとしてロス・アラモス研究所へ移ることにした。

  ロス・アラモスではコンピューターまわりの雑事やワークショップを組織する等の仕事に追われて論文を書くことが出来なかった。ロス・アラモスに来てから4年経ってようやく論文を完成させ、学位を得た。*5

 

  破天荒と言うべきか、日本では考えられないが、彼の彷徨える履歴書は領域横断的に発生した複雑系そのものを体現しているかのように思う。前節で、各章で取り上げられる人物を列挙した時、彼にだけは肩書を付けることが出来なかった。素直に考えればコンピューターシミュレーションによる研究を行っているため計算機科学者で良いと思うけれど、本書を読んだ後ではどう表現したらいいか迷ってしまった。 人工生命学者?

 

 

修道院の研究所

  初期のサンタフェ研究所は空き家となってたクリスト・レイ修道院を借りてスタートした。本書は科学ドキュメンタリーなので基本的には複雑系の科学とそれに取り組む研究者を追っているが、どうにも研究所として利用された修道院が気になってしまう。現代的なビルではなく、所狭しと机が並べられ、陽が差す中庭で異分野の研究者同士が議論を始める。

  本書の終わりでは立ち退きを迫られ、サンタフェ中心市街にあるビルへ移転したとある。しかし、GoogleMapsで見てみると郊外にあるため、さらに移転したらしい。どうやらサンタフェで没したパトリック・ジェイ・ハーリーというアメリカの政治家(陸軍長官を務めた)の住居を増築したものらしい。元々の修道院がどういう建物か分からないけど、現代的なビルよりはそれっぽいのではと思う(適当)。

 

 

複雑系とは

 ラングトンについて意味もなく色々書きすぎて複雑系がどんなものかをまとめるのが面倒になってきたので、とりあえずこの動画を見てください。愛すべきラングトンの名も出てきます。

 

 

*1: 

www.santafe.edu

*2:700ページ近い

*3: 

物理数学の直観的方法―理工系で学ぶ数学「難所突破」の特効薬〈普及版〉 (ブルーバックス)

物理数学の直観的方法―理工系で学ぶ数学「難所突破」の特効薬〈普及版〉 (ブルーバックス)

 

 

*4:p.366

*5:まとめが少し長くなってしまったけれど、彼のアイデアの変遷など研究面でのクリティカルな部分は外して書いているので、是非本書を読んでほしい。

【読書感想文】パロマーの巨人望遠鏡

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ヘールは「神はかけはじめた蜘蛛の巣に糸を与えたもう」としばしば言った。彼のために彼の弟子たちは多くの蜘蛛の巣を作り、なお今も作りつつある。その最大のものはおそらくパロマーであろう。*1

 

目次

  • 基本情報
  • あらすじ
  • 感想
  • 科学史を編むということ
  • 人材登用
  • 巨人望遠鏡とは何か

 

基本情報

 原題は『THE GLASS GIANT OF PALOMAR』。天文学者G.E.ヘールとパロマ天文台の建設事業をめぐる科学ドキュメンタリー。原書はD.O.ウッドベリーよって書かれ、1939年に初版が発行された。しかしこの時点で天文台は未完成であり、また戦争の影響で完成は1948年までずれ込んだ。そのため『後日物語』という章が付け加えられ、天文台の完成から初観測までの記録を補っている。

 訳者は関正雄・湯澤博・成相恭二とあるが1950年に最初の邦訳が関・湯澤によって成され、2002年岩波から出版される際に成相による仮名遣いの現代化や修正が加えられた。 

パロマーの巨人望遠鏡〈上〉 (岩波文庫)

パロマーの巨人望遠鏡〈上〉 (岩波文庫)

 
パロマーの巨人望遠鏡〈下〉 (岩波文庫 青 942-2)

パロマーの巨人望遠鏡〈下〉 (岩波文庫 青 942-2)

 

  

あらすじ

 メインはパロマー山の天文台建設であるが本書はヘールの人物伝でもあり、前日譚として若き日のヘールが天文学と物理学の統合を志しヤーキス天文台の建設に奔走するところに始まる。分光観測の先駆的存在となり、詳細な太陽の研究のため、より大きな望遠鏡の必要性からウィルソン山天文台の60インチと100インチの望遠鏡、そしてパロマーの200インチ望遠鏡の建設に至るまでを描く。

  

 

感想

 読むきっかけになったのは、図書館で読んだ恒星社の『現代天文学講座15巻(天文学史)』*2の巨大望遠鏡建設に関する章。19世紀末から20世紀前半にかけて建設された巨大望遠鏡が天文学上の重要な発見を支えたことに加え、事業の中心的役割を果たしたヘールの人物像や資金調達能力に興味が湧いた。 (後は、タイトルが強そうでかっこいいから)

 読書が苦手ですぐ飽きてしまうのに、冬の長い夜に空が白むまで読みふけるという経験をした。翻訳もあまり古さを感じず読みやすかった。プロジェクトXのようだと評す向きもあるが、ありったけの知識・才能・発想・技術を投入する知的総力戦の有り様は『シン・ゴジラ』の巨災対にも似ていた。

 

 物語の構成は大体時系列に沿って、巨大な望遠鏡と天文台を作るためにヘールをはじめ関係者たちの仕事がひたすら綴られていくというシンプルなもの。しかしあらゆる箇所に教訓やインスピレーションが満ちていて、それら一つ一つについて書きたくなるが、それでは感想文ではなく全体の要約となってしまう。

 まずは描写された内容そのものよりも、本文に触れつつ科学史を綴るというメタ的な部分に注目したい。その上で特に気になった人事にまつわる部分について書く。(ネタバレ注意)

続きを読む

接眼レンズの清掃にレンズペンが良かったよという話

望遠鏡や双眼鏡の接眼レンズの中でも1cmに満たない小口径のレンズの掃除に効果的な手段を試した結果、レンズペンが良かったので書いておきます。

 

 使用したのはレンズペン3 マイクロプロというモデルで、先端のチップがレンズペンのなかでも一番小さなサイズのものです。ファインダー用とされており、ペン軸部分も小振りなサイズ。

 

レンズペンはセーム革で出来た先端部でレンズの汚れを拭き取るツールで、広い範囲の汚れよりも小さな汚れや狭い部分の掃除に向いてます。ペン部分の反対側にはブラシがついていてホコリを払うことも可能。ブロワーや湿式クリーナーなどと比べて小さくまとまっているので、携帯の便も良くカメラ使用者から好評を得ているようです。

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 セーム革のチップはカーボン粉末(?)が付いていて、これが汚れ落としに役立つということです。キャップをつける度にキャップ内部からチップ側へこの粉末が供給される仕組みだそうです。

 

 以下はわざとらしく接眼レンズにペン先を当ててみた使用風景です。本当ならもう片方の手で接眼レンズを持ちます。

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この程度は余裕を持って拭ける:接眼レンズ径約9mm

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チップぎりぎりのサイズ。その場で回すようにすれば使える:接眼レンズ径約6mm

よくある短焦点でシンプルな光学系の接眼鏡はアイレリーフも短いため、まつ毛が触れるなどして汚れることも多く、それでいて奥まった小さな穴にあると掃除が困難でしたが、6mm程度の穴までは対応できるようです。これより大きな口径のレンズでも、枠ぎりぎりの部分の拭き残しを処理しやすいです。

携行性が良く、出先でレンズが汚れて星像がぼやけてしまっても対処しやすいのがうれしいポイントです。

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KasaiのWideBino28(新型):接眼レンズ径約8mm

 

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小さすぎてレンズを拭けなかった例:レンズ径約3mm

 一応カメラレンズとファインダー用とのことなので天体望遠鏡の接眼レンズはメーカーが性能を保証しないでしょうし、似たようなものだとは思いますが、あくまで自己責任で…。

 

HAKUBA レンズペン2 【ビューファインダー用】 マイクロプロ BK KMC-LP9B

HAKUBA レンズペン2 【ビューファインダー用】 マイクロプロ BK KMC-LP9B

 

 ペン軸部分はいらないよという人はスペアチップのみを購入でき、持ちにくいですがこれだけでも使えます。私は無くしそうで怖いのでペン軸付きにしました。

 

星座境界線のデータのこと

星座境界線のデータに関する説明です。

 

 データはここからDLできます。VizieRより。

http://cdsarc.u-strasbg.fr/ftp/cats/VI/49/

 

リンク先にトリセツ的なテキストもありますが、以下に一応の解説を書きます。

 

境界線のデータはオリジナルが1875年分点によるもの(bound 18.dat)。そのほか2000年分点のもの(bound 20.dat)もあります。オリジナルの境界線は赤緯赤経に沿った線で定義されていました。歳差により座標自体が動くけれど、境界線は天球上の元の位置を保つため、定義する点の赤道座標がずれます。そのため2000年分点のデータでは経緯線に沿っていません。2000年分点のデータでは境界線の角の部分を定義する座標データに加えて、一度ごとに補間したデータ行を含んでいます。

 

 

実際に星図を描画するプログラムを書いて気づいた点

  • 星座境界線はその星座の天域を一周する。閉じた線とするには、最後の点はその星座の最初の行のものを使わないといけない。
  • 天の北極があるこぐま座のデータは、天の北極付近に謎の円弧が出来るデータ行が含まれる。天の南極があるはちぶんぎ座も天の南極付近に近づく謎の線が出来るデータ行が含まれる。
  • データ上で隣り合った星座と星座の境界が結ばれないようにするため、星座名の列を利用して区切りをつける必要がある。ただしへび座は2つの閉じた天域で一つの星座扱いなので、配慮しないといけない。幸いCaput(頭) / Cauda(尾)*1でそれぞれSER1とSER2という名前がふられて区別されているため、回避できる。

 

 

 

*1:余談ですが、どちらが頭でどちらが尾なのかごっちゃになりやすいですが、私は「蛇にカプッと噛まれる」で覚えてます。へびつかい座の西側がCaput(頭)東側がCauda(尾)なので、強引ですが"西向く士"よろしく蛇も西向くという連想でだいたいなんとかなると思います。

恒星の固有名に関するデータのこと

IAUのワーキンググループが定めた星の固有名*1のリストを入手する説明です。

 

Naming Stars | IAU このページの下部に固有名のリストがあります。

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固有名、イェール輝星星表のHRナンバー、星座とバイエル符号、実視等級、赤経赤緯などの情報が含まれます。簡単にここからコピペも出来ますが、これとは別にヒッパルコス星表のカタログナンパーなども含まれたデータセットがあります。

 

IAU WGSN 固有名割り当てのワーキンググループのサイトです。 f:id:love_and_sessue:20181023232111j:plain

ここからテキストファイルのデータを参照できます。データは順次アップデートされているようで、当記事執筆時点で2018年9月が最新のようです。

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データは固定長です。スペースを区切りとして読み込むと、例えばName列で"Polaris australis"*2のようにスペースを含んだデータが分割されてしまうので注意してください。

 

 星表の番号は第二列にイェール輝星星表のHR番号がありますが、座標データはヒッパルコス星表の2007年の新版を利用しているようです。

*1:星表のIDナンバーではなく、シリウス、リゲル、アンタレスのような名前

*2:はちぶんぎ座の5.45等星 天の南極に最も近く、南極星のこと