planet;nakanotori

天文・鉱物・その他。調べたことや自分用のメモなどを書きます。

NGC&ICカタログを入手する方法

New General CatalogとIndex Catalogの居場所です。

 

何度かの改訂があったためバージョンが複数ありますが、赤道座標の元期が現行のJ2000.0で星表などに手っ取り早く使えそうなのがこちら。

http://cdsarc.u-strasbg.fr/ftp/VII/118/

 ngc2000.datがお目当てのカタログ。names.datは固有名に関するデータです。

 

 同じものが国立天文台ftpサイトにも置いてある。

ftp://dbc.nao.ac.jp/DBC/NASAADC/catalogs/7/7118/

 

【読書感想文】 宇宙の果てまで―すばる大望遠鏡プロジェクト20年の軌跡

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GoogleMapsからマウナケアの天文台群。すばるは右下

  基本情報

以前読んだ『パロマーの巨人望遠鏡』(以後『巨人望遠鏡』と略す)に続き、今度は日本の国立天文台すばる望遠鏡*1を建設するお話。実際にプロジェクトの中核を担った小平桂一元国立天文台台長による自伝風の実録。『巨人望遠鏡』で翻訳を行った成相氏もすばる望遠鏡に参加しており、本書中でも度々名前が出てくる*2

   すばる望遠鏡は1999年1月に稼働を開始、この本は同年3月に出版された単行本が2006年に文庫化されたもの。

宇宙の果てまで―すばる大望遠鏡プロジェクト20年の軌跡 (ハヤカワ文庫NF)

宇宙の果てまで―すばる大望遠鏡プロジェクト20年の軌跡 (ハヤカワ文庫NF)

 

 

全体的な感想

 「外国ではこの手の望遠鏡を造らないんですか」

「いいえ、外国でも重要性を認めて計画を推進しています」

「それを使わせてもらえばよいではないですか。お金を一部払ってでも」

天文学者の答えは次のとおりだ。

カラヤンベルリン・フィルのCDが買えれば、日本にはオーケストラが無くて良いのでしょうか。自分たちで音を出したくはありませんか。文化の享受ではなく、文化の創造なのです。」(p233)

   『巨人望遠鏡』は一世紀前後の時間の隔たりがあるアメリカの話で、自分にとってはどこか伝説や神話の靄の向こう側を観ているような感があった。一方、本書は現代の日本(とハワイ)が舞台であり、同様に『巨人望遠鏡』の読者たちによる試みであるため、リアリティの体感値では切実さがより深い。

   『巨人望遠鏡』と違い、あくまで著者の一人称視点の記録であり、著者から見えないところでプロジェクトが動いている部分もあるため、『巨人望遠鏡』のような複眼的にプロジェクトを総観するものではなく、個人の心境が多く綴られている。

  著者は天文学者であり、プロジェクトを率い、後に国立天文台の台長を務めたため、技術的な視点よりは日本の天文学者としての大望遠鏡に対する想いと、組織や制度づくりに関する視点が優っていた。『巨人望遠鏡』では詳細に描かれていたガラス円盤の鋳造・主鏡研磨などは、本書では業者の選定・発注・完成後の輸送などの時点で軽く触れられるのみだった。

  その一方で、制度面での課題と取組みが多く触れられており、最先端の望遠鏡の必要性を論じるのはもちろん、それを運営するための人的な仕組みの構築に関して多くのページが割かれていた。基礎研究について、「それが何の役に立つか」が愚問であったとしても、公的な予算を取るためには説得のプロセスが必要であり、文部省や大蔵省はもちろんのこと、外務省や人事院に出向くなど、組織の運営者や事業家的な交渉の描写が多い。科学者が科学を語るだけで果たせる仕事ではないらしい。

  公的な予算獲得・使用の難しさの一方で、トヨタ財団からの支援を受ける場面では私的な資金の柔軟さについても述べられており、それが天文学振興財団の設立*3につながっていくなど、天文学そのものの発展に貢献するため制度面での整備を行っていく視点が印象的だった。

 

 

気になった細かい点

  • いまTMTと言えばThirty Meter Telescopeだが、本書では過去に存在したTen Meter Telescopeという構想について言及がある。

 

 

鏡のこと

  一枚鏡として当時世界最大のもの*4だったすばる望遠鏡の主鏡はガラス円盤の鋳造がコーニング社製、研磨を担当したのがコントラベス社だった。コーニング社はパロマーの200インチの円盤を鋳造したメーカーだが、コントラベス社は東京天文台に少し縁のある会社のようだった。

この会社は、昔「ブラッシェア社」と呼ばれた研磨会社の技術を引き継いでいると聞いていたので、行ってみる気になった。東京天文台にある一番古い小さな望遠鏡が、実はブラッシェア社製だったのだ。その会社はもうなくなって、オーエンス・イリノイという会社に技術が移り、それがまた解体されて、コントラヴェス社に伝わっているということだった。(p.136)

この「東京天文台にある一番古い小さな望遠鏡」が気になったので、調べてみると天文情報センターの資料に記載があった。

http://open-info.nao.ac.jp/engipromo/draftparts_2017/gk_22.pdf

現在、上野の国立科学博物館で展示されているトロートン製20cm屈折望遠鏡を購入したのが1880年(明治13年)、ブラッシャー天体写真儀はその16年後の1896年(明治29年)だとのこと。観測用のドームは取り壊されたが天体写真儀自体は現存しているらしいので、今度国立天文台に行ったらぜひ見てみたい。

 

  ニューヨーク州カントンという街にある工場で鋳造されたガラス円盤は研磨の為ペンシルベニア州ピッツバーグへ送られるが、輸送経路はセントローレンス川オンタリオ湖→ウェランド運河→エリー湖→陸路となっている。『巨人望遠鏡』を一度読んでしまうと鏡の輸送という作業が気になってしかたがないので、地図で調べてみた。

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ガラス円盤のざっくりとした輸送経路

  本書で詳しく描かれているわけではないが、オンタリオ湖エリー湖の間のウェランド運河が少し興味深かった。 2つの湖には高低差があり、エリー湖が高い位置にある。エリー湖からオンタリオ湖に注ぐ水の流れはナイアガラ川(ナイアガラの滝)として知られているが、今回の輸送ではこの流れを遡上しなければならない。

  自然の川が巨大な瀑布となっているため、水運のためには平行して建設された運河を通航することになる。運河には閘門(こうもん)と呼ばれる、異なる水位の間を行き来するための施設が合計8つあり、これを通過してエリー湖に至る。肛門ではない。

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GoogleMapsから、閘門が連なっている様子

  陸路では大きな荷物の運搬のため、交通整理などの措置が必要になる関係から、事前にペンシルベニア州警察に許可を得ることになっている。警察は運搬経路上のハイウェーへの車の乗り入れを控えるように地域へ呼びかけたため、かえって野次馬を引き寄せてしまったらしい*5

  パロマーの200インチ鏡でも輸送に関しては一騒動あったため、少しニヤッとなってしまった。ペンシルベニア州警察の中の人はもちろん『巨人望遠鏡』を読んでいなかったのだろうと思う。

 

  研磨を終えた主鏡はピッツバーグからオハイオ川からミシシッピ川へ入り、メキシコ湾に出る(p.393)。あらためて経路を確認してみると、アメリカを縦貫するミシシッピ水系の巨大さに驚いた。GoogleMapsの距離測定を信じると、海に出るまでに3100km弱の道程を旅したことになる。

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 暇だったのでかなり細かく計測点を打ってしまい、気持ち悪い絵面になった。鏡はメキシコ湾からパナマ運河を通って太平洋へ出てハワイまで運ばれる。

 
   ところで話が脱線してしまうが、鏡材を選定する過程でアリゾナ大学に触れられているエピソードを一つ。

同じ年*6の11月には、アリゾナ天文台の調査に出掛けた。アリゾナ大学のローエル天文台のロジャー・エンジェル博士は、ハニカム鏡の大々的な開発実験を進めている。アリゾナ大学の光学研究センターと協力して、フットボール競技場の観覧席の下の空間に、大きな鋳造工場を建設していた。(p.98)

  結局、アリゾナ大学との契約には至らなかったのですばる望遠鏡とは関係ないが、フットボール競技場の観覧席の下の工場は現在、各地の大望遠鏡の鏡の製作を行っているミラーラボという組織となっている。一枚鏡として世界最大となるLBT(大双眼望遠鏡)の8.4m鏡や、東京大学アタカマ天文台の6.5m鏡の製作を担った。

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観覧席の下というか、思ったよりハミ出してたミラーラボ

  素人考えだと鏡の製作はもっと静かな環境がふさわしい気がするし、コントラベス社の研磨工場は廃坑を利用した地下空間にあるが、それとはまるで対極にあるような喧騒のど真ん中にあるのが面白い。他に土地はなかったのか。


 「すばる」という名前

  世界最大クラスの望遠鏡でも、LBT(Large Binocular Telescope)とかVLT(Very Large Telescope)とかTMT(Thirty Meter Telescope)など中学生が考えたような名前(失礼)が付いていることもあるなかで、「すばる」という名前はとてもいいと思う。公募で選ばれ、最終的に「みらい」「すばる」の二候補となった中から選ばれたらしい(p.270)。

太平洋を航海したハワイの人々にとっては、水平線に昇るプレアデス星団が、空から見つめる神々の小さな眼に思えたのだろう。振り返って、僕らが大望遠鏡と称している口径八メートルも、宇宙から見れば、ちっぽけなものだ。何億年も何十億年もかけて広がってくる光の波の、ほんの微少な一部分だけが、この鏡の面に入る。地上に振りそそぐ他の光子は、すべて無駄だ。僕はこうして「すばる」の名を納得した。「昴」の漢字に現れるきらびやかさではなく、「人類の小さな眼」としての八メートル望遠鏡に託した、謙虚な祈りのような気持ちの表象としてだった。(p.272)

 


マウナケア山頂の夕暮れ、観測をスタートする「すばる望遠鏡」

 

 最後に、すばるの主焦点カメラHSCで撮影した画像を見れるビューアーがあるので、ここでいろいろ見てみよう。

hscMap

 

 

*1:

*2:逆に、『巨人望遠鏡』のあとがきでは成相氏が本書を挙げている

*3:p.290

*4:2019年5月現在は2番目

*5:p.321

*6:1983年のこと

赤経・赤緯を時分秒・度分秒から十進法表記に変換する(逆もあり)

◆赤道座標*1赤経(時分秒)・赤緯(度分秒)を角度(十進法)に変換 

赤経 ( α[h],  β[m],  γ[s] )

α*15 + β*15/60 + γ*15/3600   [deg]

赤緯 ( α[deg],  β[m],  γ[s] )

α + β/60 + γ/3600   [deg] 

  

◆逆に、角度(十進法)を時分秒や度分秒に変換

赤経 ( α[deg] )

: floor(α/15) [h]*2

: floor( ( α/15 - floor(α/15) )*60) [m]*3

: { ( α/15 - floor(α/15) )*60 - floor( (α/15 - floor(α/15) )*60 ) }*60 [s]*4 

赤緯 ( δ[deg] )

: floor(δ) [deg]*5

: floor( ( δ - floor(δ) )*60 ) [m]*6

: { ( δ - floor(δ) )*60 - floor( (δ - floor(δ) )*60 ) }*60 [s]*7

 ※赤緯δは符号が負となる場合がある。まずδの絶対値で度分秒を計算し、最後に符号を付けるのがオススメ。

  

計算の具体例

 実際の天体の具体的な座標を使用して、順を追って計算します。

例として輝星星表*8からベガとアクルックス*9赤経(時分秒)・赤緯(度分秒)を抜粋。HRは輝星星表の番号。RAが赤経(Right Ascension)・DEが赤緯(DEclination)です。

HR Name RAh RAm RAs DE- DEd DEm DEs
7001 Vega 18 36 56.3 + 38 47 1
4730 Acrux 12 26 35.9 - 63 5 57

輝星星表に固有名は無いので、Name列は私が勝手に書き込んだものです。

 

◆ベガの赤経(18h 36m 56.3s)を変換

18*15 + 36*15/60 + 56.3*15/3600 = 279.2345833 [deg]

↺ 求めた値を再び時分秒に変換

279.2345833/15 = 18.61563889 ・・・①

①の小数点以下を切り捨て→18 [h] ・・・①´

(① - ①´)*60 = (18.61563889 - 18)*60 = 36.93833333・・・①´´

①´´の小数点以下を切り捨て→36 [m]・・・①´´´

(①´´ - ①´´´)*60 = (36.93833333 - 36)*60 = 56.3 [s]

以上から、再び赤経(18h, 36m, 56.3s)が得られた。

  

◆アクルックスの赤緯(-63° 5m 57s)を変換

-63 + 5/60 + 57/3600 = -63.09916667 [deg]

 ↺ 求めた値を再び度分秒に変換

まずマイナス符号を取って絶対値で考える→63.09916667 ・・・②

②の小数点以下を切り捨て→63° ・・・②´

(② - ②´)*60 = (63.09916667 - 63)*60 = 5.95 ・・・②´´

②´´の小数点以下を切り捨て→5 [m] ・・・②´´´

(②´´ - ②´´´)*60 =(5.95 - 5)*60 = 57 [s]

最後にマイナス符号を付けて、再び赤緯(-63° 5m 57s)が得られた。

 

<ここから書き途中>

 

◆ついでに角度をラジアンに変換 

ラジアン

*(π/180) [rad]

ラジアン

(/3600)*(π/180) [rad]

 

 

*1:

astro-dic.jp

*2:αの床関数。αの小数点以下を切り捨てたもの。Excelの関数ならTRUNC(α/15)ないしROUNDDOWN(α/15, 0)と同等。

*3:元のαからを引いたものに60をかけ、小数点以下を切り捨てたもの。

*4:の計算時に切り捨てられた小数点以下の部分に60をかけたもの。

*5:δの床関数。δの小数点以下を切り捨てたもの。Excelの関数ならTRUNC(δ)ないしROUNDDOWN(δ, 0)と同等。

*6:元のδからを引いたものに60をかけ、小数点以下を切り捨てたもの。

*7:の計算時に切り捨てられた小数点以下の部分に60をかけたもの。

*8:輝星星表のデータを取得する - planet;nakanotori

*9:みなみじゅうじ座α星

【読書感想文】 複雑系―科学革命の震源地・サンタフェ研究所の天才たち

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現在のサンタフェ研究所をGoogleMapsから。

基本情報

  サンタフェ研究所*1の草創期に関わった研究者たちをめぐる科学ドキュメンタリー。副題に「サンタフェ研究所の天才たち」とあるように、個々の研究者に焦点を当てながら群像劇のようにして複雑系科学の成立を描くもの。

  原書の出版は1992年のこと。本書で描かれる時期はおおよそ80年代だが、登場人物の過去に遡る場合には話が戦前に及ぶこともある。

  なお原題は『COMPLEXITY The Emerging Science at the Edge of Order and Chaos』 となっている。6章で言及される「カオスの縁」という単語にリンクしており、本の構造よりも複雑系の本質的な姿を仄めかした雰囲気になっている。

  現在は絶版となっているため、図書館か古本を探すしかない。

 

複雑系―科学革命の震源地・サンタフェ研究所の天才たち (新潮文庫)

複雑系―科学革命の震源地・サンタフェ研究所の天才たち (新潮文庫)

 

 

感想

  かなり分厚いため*2怯んでしまい、買ってから読むまでに少し時間がかかった。読むのにも時間がかかるかと思ったが、買ってから読むまでに要した時間ほどではなかった。

 

   全9章からなり、前半の6章まで(4章を除く)は章ごとに一人の人物に着目し、ストーリーが並列して展開される。1章は経済学者のブライアン・アーサー。2章はロスアラモス研究所のジョージ・コーワン(彼がサンタフェ研究所の創設者となる)と仲間たち。3章は医師で生物学者のスチュアート・カウフマン。5章は計算機科学者のジョン・ホランド、6章はクリストファー・ラングトン。

  彼らはそれぞれに専門分野や興味のある事象があったが、後に複雑系と名付けられる現象にそれぞれ独立して辿り着き、研究を進めようとしていた。そしてサンタフェ研究所の設立に前後して合流し、複雑系科学の確立に貢献した。一人の天才の発案や発明から生じて枝分かれするというよりも、いくつもの水源から生じた川が合流して巨大な水系を形作るように生まれた複雑系という科学の流れを、手のひらサイズの紙の上で再現するような構成の本である。

  1章のブライアン・アーサーは数学に長けた経済学者で、旧来の均衡を是とする経済学の手法に疑問を抱いていた。学会の主流からは無視されたが、現実の世界に起きる経済的な現象と理論としての経済学の乖離を無視することができず、古典経済学にはない道筋を求めて、収穫逓増理論を提唱した。個人的なことだが『物理数学の直観的方法』*3の長いあとがきでニュートン以来の還元主義的な科学の手法の限界がどうのこうのという話を読んだ後だったので、まさに卒啄同時の感があった。

  だが、サンタフェで合流した研究者達こそ、議論をはじめて互いに同じ問題意識を共有できた瞬間、卒啄同時を感じたことだと思う。

 

  本筋とは関係ないが、本書中ではやたらと日本の話が出てくる。日本に縁のある話などは無く、単に「日本つよい」「日本はんぱない」「日本とどう戦えばいい?」そんな感じ。本書の執筆当時は日本経済の黄金時代であり、アメリカから見て存在感が大きかったのだと想像できる。既に跡形も無いし、私はつよい日本を知らないので、なんだか違う国のことを言ってるようにさえ思えた。今なら「中国つよい」になっていただろうか。

 

 

クリス・ラングトンという人物

  どの章も面白いが、個人的に一番を挙げるなら6章のクリス・ラングトンしかない。 本書中の主要人物がエリートとして各々の専門分野で立場をもっている中、彼だけはよくわからないプロフィールで、研究者でありながら博士論文もなかなか完成させることが出来ずにいた。

 

  高校を卒業した後、周囲に馴染めず成績の悪かった彼は特に名門でもなんでもない大学に入り、ベトナム戦争の徴兵拒否のため代替義務として病院で働くことになり、心理学の研究室でプログラミングに触れ、これを好んだ。研究室のリーダーが他の大学に移るため仕事を失い、次に行くことになったプエルトリコの霊長類研究所ではうまく馴染めず、所内の派閥争いの結果ふたたび彼は追い出されることになった。プエルトリコでプログラミングから離れていた彼は、宇宙論や天体物理に興味を抱いていた。その後アルバイトをしながらボストン大学で聴講生として数学や天文学を学び、講師の勧めで天文学の盛んなアリゾナ大学に行くことになった。

  ボストンではハンググライダーにハマっており、アリゾナへ旅する途上ではハンググライダー仲間と一緒にアメリカを横断しながら各地で空を飛んでいた。途中で良い山を見つけたので山のオーナーと組んでハンググライダーの全米大会を開催することになり、ラングトン自身も出場するために練習していたが事故で墜落、全身を骨折する瀕死の重傷を負った。担ぎ込まれた病院の院長がたまたま全米トップクラスの整形外科医だったので良い治療が受けられた。 療養中は「トラック1台分*4」の本を読み耽り、天文学や数学だけでなく思想史や生物学の本にも触れた。

   28歳のとき、一年遅れでアリゾナ大学に入学したら学部では天文学をきちんと学べないことがわかって見切りをつけ、思想史に興味があったので哲学科と人類学科に学んだ。文化の進化という過程に複雑系の匂いを感じた彼はそれを研究テーマにしようとしたが、プログラミングを含む領域横断的な研究であり、哲学や人類学の分野に適切な指導教官が見つからなかった。計算機科学の分野でもかれの研究テーマには理解を示さなかった。

  大学を卒業してリフォーム屋とステンドグラス屋での職を得て、人類学科の大学院に進んでいたが、院では自分のやりたい研究が出来ないため、コンピューターを買って自力で研究した。このときにフォン・ノイマンの研究に触れる。アリゾナ大学には居場所がなかったので、哲学の指導教官の勧めでミシガン大学に願書を送った。不合格の通知が送られてきたのでキレて反論の手紙を書いたら合格になった。

  ミシガン大学は彼の研究にとっていい場所だったので、紆余曲折を経て学位論文に関わる研究ができる段取りが整った。しかし、セルオートマトンに関する会議で知り合ったドイン・ファーマーと意気投合、彼の誘われてポスドクとしてロス・アラモス研究所へ移ることにした。

  ロス・アラモスではコンピューターまわりの雑事やワークショップを組織する等の仕事に追われて論文を書くことが出来なかった。ロス・アラモスに来てから4年経ってようやく論文を完成させ、学位を得た。*5

 

  破天荒と言うべきか、日本では考えられないが、彼の彷徨える履歴書は領域横断的に発生した複雑系そのものを体現しているかのように思う。前節で、各章で取り上げられる人物を列挙した時、彼にだけは肩書を付けることが出来なかった。素直に考えればコンピューターシミュレーションによる研究を行っているため計算機科学者で良いと思うけれど、本書を読んだ後ではどう表現したらいいか迷ってしまった。 人工生命学者?

 

 

修道院の研究所

  初期のサンタフェ研究所は空き家となってたクリスト・レイ修道院を借りてスタートした。本書は科学ドキュメンタリーなので基本的には複雑系の科学とそれに取り組む研究者を追っているが、どうにも研究所として利用された修道院が気になってしまう。現代的なビルではなく、所狭しと机が並べられ、陽が差す中庭で異分野の研究者同士が議論を始める。

  本書の終わりでは立ち退きを迫られ、サンタフェ中心市街にあるビルへ移転したとある。しかし、GoogleMapsで見てみると郊外にあるため、さらに移転したらしい。どうやらサンタフェで没したパトリック・ジェイ・ハーリーというアメリカの政治家(陸軍長官を務めた)の住居を増築したものらしい。元々の修道院がどういう建物か分からないけど、現代的なビルよりはそれっぽいのではと思う(適当)。

 

 

複雑系とは

 ラングトンについて意味もなく色々書きすぎて複雑系がどんなものかをまとめるのが面倒になってきたので、とりあえずこの動画を見てください。愛すべきラングトンの名も出てきます。

 

 

*1: 

www.santafe.edu

*2:700ページ近い

*3: 

物理数学の直観的方法―理工系で学ぶ数学「難所突破」の特効薬〈普及版〉 (ブルーバックス)

物理数学の直観的方法―理工系で学ぶ数学「難所突破」の特効薬〈普及版〉 (ブルーバックス)

 

 

*4:p.366

*5:まとめが少し長くなってしまったけれど、彼のアイデアの変遷など研究面でのクリティカルな部分は外して書いているので、是非本書を読んでほしい。

【読書感想文】パロマーの巨人望遠鏡

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ヘールは「神はかけはじめた蜘蛛の巣に糸を与えたもう」としばしば言った。彼のために彼の弟子たちは多くの蜘蛛の巣を作り、なお今も作りつつある。その最大のものはおそらくパロマーであろう。*1

 

目次

  • 基本情報
  • あらすじ
  • 感想
  • 科学史を編むということ
  • 人材登用
  • 巨人望遠鏡とは何か

 

基本情報

 原題は『THE GLASS GIANT OF PALOMAR』。天文学者G.E.ヘールとパロマ天文台の建設事業をめぐる科学ドキュメンタリー。原書はD.O.ウッドベリーよって書かれ、1939年に初版が発行された。しかしこの時点で天文台は未完成であり、また戦争の影響で完成は1948年までずれ込んだ。そのため『後日物語』という章が付け加えられ、天文台の完成から初観測までの記録を補っている。

 訳者は関正雄・湯澤博・成相恭二とあるが1950年に最初の邦訳が関・湯澤によって成され、2002年岩波から出版される際に成相による仮名遣いの現代化や修正が加えられた。 

パロマーの巨人望遠鏡〈上〉 (岩波文庫)

パロマーの巨人望遠鏡〈上〉 (岩波文庫)

 
パロマーの巨人望遠鏡〈下〉 (岩波文庫 青 942-2)

パロマーの巨人望遠鏡〈下〉 (岩波文庫 青 942-2)

 

  

あらすじ

 メインはパロマー山の天文台建設であるが本書はヘールの人物伝でもあり、前日譚として若き日のヘールが天文学と物理学の統合を志しヤーキス天文台の建設に奔走するところに始まる。分光観測の先駆的存在となり、詳細な太陽の研究のため、より大きな望遠鏡の必要性からウィルソン山天文台の60インチと100インチの望遠鏡、そしてパロマーの200インチ望遠鏡の建設に至るまでを描く。

  

 

感想

 読むきっかけになったのは、図書館で読んだ恒星社の『現代天文学講座15巻(天文学史)』*2の巨大望遠鏡建設に関する章。19世紀末から20世紀前半にかけて建設された巨大望遠鏡が天文学上の重要な発見を支えたことに加え、事業の中心的役割を果たしたヘールの人物像や資金調達能力に興味が湧いた。 (後は、タイトルが強そうでかっこいいから)

 読書が苦手ですぐ飽きてしまうのに、冬の長い夜に空が白むまで読みふけるという経験をした。翻訳もあまり古さを感じず読みやすかった。プロジェクトXのようだと評す向きもあるが、ありったけの知識・才能・発想・技術を投入する知的総力戦の有り様は『シン・ゴジラ』の巨災対にも似ていた。

 

 物語の構成は大体時系列に沿って、巨大な望遠鏡と天文台を作るためにヘールをはじめ関係者たちの仕事がひたすら綴られていくというシンプルなもの。しかしあらゆる箇所に教訓やインスピレーションが満ちていて、それら一つ一つについて書きたくなるが、それでは感想文ではなく全体の要約となってしまう。

 まずは描写された内容そのものよりも、本文に触れつつ科学史を綴るというメタ的な部分に注目したい。その上で特に気になった人事にまつわる部分について書く。(ネタバレ注意)

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